デビル
「俺が若かったころなんかはな・・・」
老人は、年を重ねた自分と比較しながら、目の前の若さを恨みながら口にするような言葉を吐いている。
「あなたの若かったころなんか知らん。スペースシャトルが役目を終えて引退する現代と一緒にすんな。」
そう思って聞いている心のひん曲がった俺とは対照的に、女子高生は相槌を打ちながらしっかりと話を聞いている。
「あんたのお父さんだってそうよ・・・」
話の内容から、既に親戚ではないことはわかっていた。
知らない老人からお父さんの歴史を暴かれるとは、夢にも思わなかっただろう。
女子高生は時折電車の音で聞こえなくなる話に、耳を近づけたり、相槌を打ったりしている。
ほぼ一方的に老人が話し、女子高生は頷いたり、二言三言質問に答えるというやりとりを聞きながら、俺は、かれこれ四つの駅をやり過ごした。
地下鉄と言えど、その電車は地上を走る区間がある。
暗い地下を抜け、夕方の空が窓いっぱいに広がる頃。
老人の話は部活の話、学校の話、勉強の話を終え、「あんただってかわいいんだからさ・・・」「彼氏だっているんでしょ・・・」と、徐々に女という題材に摩り替えている。
声は聞こえないが、女子高生は「いえいえ」という返事を繰り返しているようで、頭を横に細かく振る返事を何度か繰り返さなければならなかった。
時折見える横顔は、まだ高校入学したばかりの面影で、まだまだのびしろがあるにせよ、今の段階ではかわいさよりも元気さ快活さの方が上回っている。そんな印象を受ける横顔だ。
そのあたりから様子はおかしくなってくる。
あからさまに老人は性を題材にした質問を始めた。
女子高生もこの質問や話はおかしいと気づいたのだろう。
一度二度、頭を細かく振るしぐさを見せたが、下を向いたり窓の外を見たり、話をほとんど聞かなくなっている。
それでも老人は負けていない。
声の大きさは相変わらずで、単刀直入な言葉をちらほら用い、自分の話や質問を投げかけてくる。
女子高生はそれに耐え切れず、もうほとんど老人を見ずに足に挟んだバッグをずらしながら老人から離れる。
もっと大胆に他の車両に行けばいいのだが、老人に悪いと思ったのか、少しずつ距離をとる。
この状況で老人の隣に座る海老一染太郎のような頭髪の中年は、俺が電車に乗り込んだときから変わらずずっと腕を組んで眠っている。
6人がけのシートは、老人と染太郎、反対の端にサラリーマンとOL。
中央にふたつ席が空いているが、異様な空気に誰も座ろうとしない。
終点まであと4駅。
ベッドタウンと呼ばれるニュータウンの真ん中の駅に到着し、たくさんの人がその駅で降りる。
女子高生は、その駅で降りていった。
老人のことをその後一度も見ずに、本当に降りる駅なのかそうじゃないのかはわからないが、とりあえずこれで車内に平穏な空気が戻るだろう。
車内の座席は空席が目立ったが、目の前のシートは相変わらずの布陣だ。
俺はイヤホンを耳に戻そうと、LとRを確かめてそれぞれを耳にはめやすい角度で指に挟む、そのとき、新たに女子高生三人が乗ってきた。
あと4駅のガマンなのだ。
祈るような思いで、その三人を見ていたが、無宗教なのがここで裏目に出た。
満員電車のときのアナウンス「電車の中ほどまでお入りください。」という声を繰り返し聞いてきた。
無意識に刷り込まれた言葉を実行しているのか。
三人は他にたくさん空いている席があるにも関わらず、目の前のふたり分のシートの前に到着する。
「○○座りなよ。」「えー。○○座りなって。」
そんな数秒のやり取りの末、三人のうち二人がシートに座り、一人がつり革につかまって楽しそうに話を始めた。
まさに、そのとき。
染太郎が、立っている女子高生に「どうぞ。」と言って席を立った。
あの親切という仮面の笑顔。
いまでも忘れられない。
「悪魔だ。」
俺は声に出していた。
今まで眠っていたはずの染太郎は、それまでと同じ体勢で目をつむっていた染太郎は、その言葉を残し、向こうの席に座った。
案の定、老人の一番近くに座ることになった女子高生は、老人に体を寄せられ、話しかけられる。
三人は協力して詰めあい、老人との距離をとるが、三人はそれから一言も話をせずに終点に到着する。
降りるときに老人は車内に唾を吐き、染太郎は三人をチラリと見た。
そして何もできなっかった俺は、ガラスに映る自分を一瞥して、うつむきながら電車を降りた。